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みなさんこんにちは!
古川拓也です。ブログ記事をご覧頂きましてありがとうございます。

古川拓也のホームページご覧頂けましたでしょうか?
ようやく、私自身の取り組みが少しずつ形になってきたこと、目指す姿などをお伝え出来るようになりました。

これまでは、最重要テーマに記載されているようなそれぞれの取り組みを立ち上げる=実績を作ることにフォーカスを当てすぎて、なかなかみなさまへ発信が出来ていなかったことに加えて、最近ありがたいことに「古川さんの取り組みをもっと知りたい」・「何かできることがあるかもしれない!」など応援のメッセージを頂く機会が増えてきたことから、ホームページやブログで発信を始めました。

今日から複数回シリーズで、そもそも古川がなぜ、ふるさとに対してアクションをしているのかを書いていきたいと思います。何回シリーズになるか、わかりませんがお付き合いください。

 記念すべき第1回は、「なぜ?」を深掘りしたいと思います。足許、講演などにおよび頂く機会もあり、よく聞かれるのがなぜ、古川さんはそんなに佐世保のためにやるんですか?”原動力はなんですか?という質問です。

人間、聞かれる度に、その理由がシャープになっていくのですが、イマはズバリ、「古川がしてきた苦労を後世の若者にしてほしくないからです」。イマと書いた理由は、私がいわゆる地方創生っぽいことをやり始めた4-5年前は、ふるさとをもっと元気に!”であるとかふるさとが昔みたいに賑わっていてほしい”と言った具合に、かなり曖昧で、抽象的、20代の若さ的な発想でした。

ですが、一度、この世界に足を踏み入れると、それは苦労の始まりで、基本大変なことしかないわけです。加えて、地方から都会へ就職した私は、同じ会社に入社した同期との経験の差やネットワークの薄さ、そして何より、佐世保弁を標準語に矯正する作業も発生し、いろいろとこのやろー!”と思うことにぶつかってきました。
少しでも、いま、そしてこれからの若者がこのやろー!と思うこと・シーンが減るといいなと想いますし、色々な障壁がなくなり、若者が自由自在に動き回れるようになれば、私は即引退、身を引きたいと思っています。

 では、どんな苦労があるのかという話ですが、これまでに私が直面した苦労や障壁をホームページを作ることをきっかけに、「3つのない」として整理をしました。

 

それぞれの内容は別の回で書こうと思いますが、少しだけ私の事例をお伝えしようと思います。

私は、4年ほど前に、ふるさと・佐世保のために何かしたい!という想いが沸々と出てきた際にやったことは、市役所に提案書を持ち込み、突撃するというなんともクレイジーな動きを取りました。いま、立場上、市役所へ持ち込まれる相談を受ける側になっているのでわかりますが、まあ私はちょっと特殊ですね。

その当時、最初にこの提案書を受けてくれた市役所の方には感謝しかありませんし、きっと日常の業務に追われながら、(若干億劫になりながら)いろいろと回答をいただいた方には今でも頭が上がりません。この事例を一人の古川拓也の武勇伝的に語るのであれば、それでいいのですが、客観的に見ると、例えばまちの中に、わざわざしたいことを市役所に持って行かずとも、コミュニティーや動いている人をすぐに発見でき、相談できる場や空間があれば、よかったわけです。

私の場合、幸いにもこの提案書をきっかけに、代表を務める社団の理事の2人と出会うことができ、一生の仲間を見つけ、いろんな人に相談できるようになったのですが、仮に私のような熱量人材が出てきた時に全力で抱きしめられる「関わり続ける仕組み」が絶対に必要なわけです。

※上記は、古川が突撃した際の提案書の表紙。今見ると恥ずかしい。

 このような苦労は、絶対に次の若者にはさせないとずっと心に思いながら活動をしていますが、まちはそう簡単に動きませんし、わかりません。ただ、解決しない限り私も引退できませんし、信じて続けることが重要で、少しずつ仲間が増えてきていることが何よりの救いです。

 今回は、ざっくりとした古川の想いをブログにしてみましたが、次回以降はそれぞれのないにフォーカスを当てて行きたいと思います。ご高覧ありがとうございました!

 

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